こんにちは、一時間ごとに気分が変わる四十九歳です(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。
これを書いている今現在、外が大雨のため、休憩時間にタバコが吸えないので、ちょっと「イラッ☆」としている今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の記事は、「カウンセリング、いいんじゃね?」とかいった話です。
前提
さて。日々を生きる上で、全く不安がない方、というのも、そういらっしゃらないかと。
僕なんかは、心の風邪を引いてるもんですから、二週間に一度の精神科通院は欠かせません。
ただ、順番待ちの都合で、診察にあまり時間が取れたもんでもない。
なので、大半の「聞いて欲しいこと」というのは、ぐっと飲み込んでます。
それに、お医者さんに対して、プライベートな悩みって、言えるようで言えないものです。
自家撞着?
以前、自分で言ったことと矛盾するんですが。
個人的な悩みを解消するために、占いという手段があります。
僕は、それにかかるお金を節約するために、自前でタロットカードを買ったんですが……
素人の哀しさか、いくら自分で占っても、よく分からない。
悟りました。
占いは、「他者にやってもらってこそ」だと。
そんなわけで、先日、大阪梅田の駅ビルにある、占い師の店に行きました。
たかが? されど?
なるほど、「たかが占い」と、鼻で笑う方もいらっしゃるでしょう。
ただし、「プライベートな悩み」を「ストレートに、身内以外に」話せるのは、占い師ぐらいなもんです。
特に僕の場合、親に話しても、ミジンコほども理解や共感が得られない悩みであるがゆえに、なおさら「第三者」が有り難い。
占い師の店に行くのは、これで二度目でした。
初回は、家から一番近いところにたまたまあった店に行ったのですが……
控えめに言って、「年寄りの偏見を長々と聞かされただけ」という感触でした。
違う。違うんだよ、ジョニー!(誰?)
そういう経緯あっての、言わば「仕切り直し」でした。
カウンセリング、だね
一般的なカウンセラーは、心理学的知識をして、相談を聞きます。
一方、占い師は、「占い」という、悪い言い方をすれば玉虫色の根拠で応じます。
しかし、「悩みを聞いてもらう」という点では、共通しています。
逆に、(僕は相談しませんでしたが)ドロドロしたそれも含め、恋愛問題なんか、心理カウンセラーには言えないでしょう。
それに、心理カウンセラーに相談する、というのも、普通の方には敷居が高いはず。
そういう点では、「手軽な、よろずカウンセラー」として、占い師の方が秀でているかも知れません。
ぶっちゃけたー!
そんなわけで、前日に予約を取り、店に。
「かくかくしかじかで」と、長らくの悩みを、びっらー! と並べ立てました。
占い師の先生は、ホロスコープやカード類を使って、最もざっくり言えば、「僕の背中を押して」くださいました。
値段は、三十分で5,500円と、結構したんですけども、個人的には値打ちがありました。
なぜって、先述の通り、「こっちの話に耳を傾けてくれて」、かつ、「背中を押して」もらえたからです。
誰かに聞いてもらうこと
なるほど、例えば友だちなんかに、悩みを打ち明けて、背中を押してもらう事もできます。
が、なまじ友人は「距離が近い」がゆえに、(性格にもよりますが)「無条件で」背中を押してくれます。
それはそれで有り難いのですが、こっちとしては「根拠」が欲しいわけです。
これは、僕が「占い」そのものに、割と肯定的である姿勢が影響しているからなんですが。
「星の動き」、「宇宙の法則」、あるいは「運命の周期」という「根拠」。
それらは、結局のところ「自分の解釈次第」ではあるものの、「無条件な礼賛」よりは「強い」と思います。
そんな理屈を抜きにしても、「デリケートな話題を、遠慮なく第三者に打ち明けられる」というのは、立派な「癒し」たり得る。
王様の耳はロバの耳!
じゃないですけど、「悩みを聞いてもらう相手がいない」ってのは、かなり辛いものです。
値段も値段なので、占い師の店も、気楽に何度も行けない場所ではあります。
それに、いかに「それっぽい」事を言われようが、占いは占いの域を出ません。
ただ、先と同じ表現をしますが、「気楽な、よろずカウンセラー」として、頼ってみるのもいいんじゃあないでしょうか?
バカげている! と鼻で笑うのも、個人の自由ですけど……
実際、「親にすら言えないことを言える第三者」って、貴重だと思うんですが、どうか。
んじゃまた。
文章:フジカワ