四六時中、創作のことを考えているのもどうかと思うの(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。
ある日課を忘れた結果、大変気分がもやっとする今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の記事は、「美術館で会った人だろ?」とかいった話です。
日々の悩み
さて。皆様も、日々何かとお忙しいとは存じます。
僕も、目が回るほどではないのですが、結構忙しいです。
頭を、真っ白にしたい。
いえ、真の意味で「まっちろ☆」になったなら、それはそれで問題ですが。
KENZENに、頭をリセットしたい。
じゃあ、KENZENじゃない手段は?
そりゃあありますけど、この場で書けるとでも!?(謎の逆ギレ)
確かに、好きなことへ思いっきり打ち込むのも手です。
ただ、僕の場合、それが「書く」ことです。
つまりは、頭を使うことには変わりない。
別の言い方をすれば、思考が切り替わらない。
これ、かなり辛いんですよね。
美に触れたい
僕の親は、美的センスがいいのか、あるいは単なる貧乏性なのか?
世界の名画を題材にしたカレンダーを捨てずに、部屋の壁に貼っています。
ただ、所詮という言い方もどうか? とは思うんですが、複製品以下のシロモノです。
なんせ、単なる印刷物ですしね。
美術品に、ダイレクトに触れたい。
実は僕、その昔は、美術館とか博物館に行くのが好きだったんですよ。
僕は兵庫県在住なのですが、岡山県倉敷市の「大原美術館」まで、「発作的に」新幹線に乗って行った、なんてこともあります。
好きな物は?
僕は、特別に美術史に詳しいわけではないです。
それでもいいとは思いませんか?
美しい作品を、単純に愛でる。
時系列がどうとか、時代ごとの画風の変遷とか、そんなもんはどうでもいいんですよ。
中でも、特に僕が好きなのは、いわゆる「現代芸術」と総称されるものです。
ざっくり言ってしまえば、「わけのわからないオブジェ」。
どこが好きか? それは、「解釈が自由」であるところ。
作品の作者だって、おそらく、「メッセージ」はあっても、「正解」は定めていないはず。
謎かけの面白さ
そうなんですよね。一見わけのわからないものを前に、こう問われる。
「さて、貴様はこれをどう見るかね?」
先述の通り、「正解」はない。受け手の自由です。
「分かりやすいもの」じゃ、ダメなんですよ。
先述の通り、「いかようにも解釈できるもの」。
「自由」というものは、しばしば「不自由」なものです。
ではあれど、「お題」を前にして、色々と「自由」に考える。
これ、結構楽しいんですよね。
メッセージ性、あるいは皮肉、風刺。
それにさえ「正解」は、ない。
元来、芸術というものは、そうあるべきだと思います。
個人の一例
僕は「書く人」です。
経験があるのですが、作品(小説)を他人に読んでもらう事もあります。
その結果、「え、そう読むの?」と、書いた本人が驚くこともあるんですよね。
ただ、それは「そんなつもりはないのに、心外だ!」という意味ではないのですよ。
むしろ、「そんな風に読んでくれたのか!」という喜びの方が大きい。
もっとも、こちらの意図しない方向に、悪い言い方になりますが「曲解」されると、ちょっと「んー?」とは思いますけども。
美術館の特性
また、美術館へ行くメリットは、他にもあります。
それは、「静か」であること。
要は「存分に集中」できる。
あるいは、「思考を邪魔されない」。
色々と騒がしい世の中です。
喧噪を離れ、じっくり「美」と向き合う。
そういうのも、立派な「癒し」たり得ると思いませんか?
もっとも、誰もが知る、超有名な作品が特別に日本に来た時とか。
そういう「超大々的なイベント」の場合は、例外です。
僕も経験があるのですが、ひどい人混みの中、押し合いへし合いで見る。
それはちょっと、どうなんだろう? とは思います。
まったく興味がない、とかなら、それは仕方ないですけども。
たまには、美術館へ行くのも楽しいですよ?
んじゃまた。
文章:フジカワ